選択の連続こそが、自分の「人生」を創り上げる。

こんにちは、コタローです!

私達は生きていく中で、多くの「選択」を迫られながらも日々選択の連続を繰り返しています。一説には朝起きてから寝るまでの間に、私達は1日約9,000回の決断を常に迫られているとのことです。

これは今後の進路をどうするかといった重要テーマから、どっちの靴を履こうかなといった他愛の無い選択まで幅広い選択を含んでいます。

こうした小さな選択から大きな選択まで、私達は常に選択の連続であり、それによって少しづつ「脳」には疲労が溜まっていくといわれております。

それは、こうした決断をする上で脳は情報検索、比較処理などを並列して行いながらも、決断できない問題は一時保留するなど、脳のメモリーを消費して非常に多くのエネルギーを割くからです。

しかし、この選択の連続こそが絶え間なく「脳」を使い、自分自身の道を考える一種の訓練になるのではないかと思います。

■ 「選択」とは自分の道を切り拓くということ

今の教育現場ではあまりに固定化し、強制していることが多過ぎて、本来自分自身が取り組みたいと思うような趣を感じるものに、自分の意志で決断して取り組むという機会を奪っています。

特に学校現場での固定化されたカリキュラムについては、本人にどんな特性があり、どんなことにチャレンジしてみたいかなどの事情を考慮出来ない問題がございます。

そして、現場としても文科省からいわれる必要カリキュラムを消化することに躍起になってしまっている事情があります。

ですから、単純に学校が悪いというわけではなく、この硬直化した教育システム(学校システム)を大きく見直さなくてはいけない転換期に来ているわけです。

少なくとも高度経済成長期のように作れば売れるといった状態でもなく、正解が決まっていてそれに向かってさえいれば安泰だったという時代でもないわけですから、一人一人が納得した答えを見つけ、それに向かっていく必要があるのです。

そうでなくては、AI時代といわれるこれからの社会では、納得した仕事について生き残っていくということが難しいからです。

今後は、正解を如何に早く見つけるかや、決まったルーチンワークを如何に多く行うかという処理的な能力は、どんどんとAIやロボティクスなどに置き換わってくることでしょうから、そこで勝負をしても勝ち目はありません。

私達が見据えていかなくてはいけないことは、この正解の無い状況において、如何に自分自信で正解を作り上げていくかという事です。

■ 戦前の学校は選択肢の幅が広かった!?

戦前の学校制度では尋常小学校という学校にて義務教育を受けます。その後は高等小学校を始め、実業学校、各種学校、中等・高等学校などがあり、さらに専門学校や大学予科などがございます。そしてさらに学問の道を志すのであれば、帝国大学を始め文理・商科・医科といった各大学へ進学していきます。

このように戦前の学校制度では、今の進学コースよりも多くの選択肢があり、またその中で自分の進むべき道として、どんな仕事につくためにどの段階で社会へ出るかの選択を早い段階から模索できたのです。

つまり、選択肢の多様さによって、自分の道を自ら考える機会が柔軟に提供されていました。少なくとも今のように大卒をデフォルトに考え、そこまで思考停止状態で進んでいき、正解の穴埋めを強要される処理能力重視の教育しか行われない現代の教育システムよりもよっぽど柔軟なシステムであったといえます。

このように早い段階から自分の道を考えさせることで、子どもたち自信も自分の人生に主体性を育むことが出来るでしょう。そして、学校教育においては職業倫理や日本的価値観を養う教育が行われており、教育と社会が密接に連携していたといえます。

また、海外に倣うわけではありませんが、ドイツにおいても基礎学校である「グルントシューレ」で4年間の教育を経ると、後は職業訓練を目的とした「ハウプトシューレ」、専門学校や専門職を目指す実科学校「レアルシューレ」、大学進学を希望するための「ギムナジウム」に別れるため、進路を早い段階から選択する素養があります。

また「デュアルシステム」という義務教育終了後に、職業学校に通いながら企業内で職業訓練を受けるような二元的なシステムがあり、これまた教育と社会が密接に連携しています。

このような柔軟な教育システムも、元々は日本にも存在していたわけですから、今一度そういったインテリジェンスを見直し、システムの基本的な考え方(コンセプト)を持ったグランドデザインを描き直す必要があるでしょう。

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