教育の投資効果とは何か?

こんにちは、コタローです。

よく「子供への教育は、最大の投資である」などといわれます。

たしかに私もその意見に賛同出来ます。しかし、それと同時に「投資」というのであれば、その費用対効果を明確にする必要もあるのではないでしょうか。

では、教育を「投資」と捉えた時、その効果とは何にあたるでしょう。

■ 教育の投資効果は「学力」か?

教育の効果を考えた時、「学力」と答える方がおります。その場合、学校における試験の成績等の事を「学力」と仮定していることがほとんどですが、これはあまりにも教育というものを限定的にしかとらえていないのではないかと思います。

つまり「教育」=「試験などの評価」と捉えている為に、その試験の評価が良いという事が良い教育という事になってしまいます。

しかし、これにはあなたも違和感を感じるかと思います。それもそのはず、現在の学校教育の中で重視されている学力というものは、とどのつまり正解のある「問題」に対し、どれだけ「正解」を覚えているかといった「情報処理力」でしかないからです。

では、この「情報処理力」があれば、精神的にも経済的にも充足した状態で、社会を生きていけるのかといいますと、あなたも実感されている通り、答えはNOです。

現実には、「仕事」でも「趣味」でも「家庭」でも、ありとあらゆる局面で向かい合う問題については「正解」が無い事ばかりだからです。

これがもし本当なら、東大法学部を首席で卒業すれば、最も豊かで実りある人生を送れるという事になるでしょうから、この点については肌感覚としておかしいという事が理解できます。

ですから、正解をいかに多く穴埋問題にはめられるのかといった能力しか養っていない現代の学校教育では、いくら学力を上げたところで、本来の教育の目的は達しえないのです。

■ 教育の投資効果は「収入」か?

次に教育の効果を考えた時、「収入」という答えもでてくるでしょう。しかしこれも同じく教育というものを限定的に捉えていることに他ならないのです。

「学力」ほど、狭い見方で教育効果を見てはいないですね。なぜなら「収入」となると実社会に出た時を想定している為、こちらの方が本来の教育という意味に近いでしょう。

しかし、これは「お金を稼ぐ」という事を正としてしまっている為、その分教育というものの目的を固定化してしまっています。

たしかに、生きていく上で生活するための稼ぎを得るという能力は重要な力になりますし、お金というものは、ある程度必要になって来るものですから、非常に大切なものに変わりはありません。しかし、その能力が高くないからといって価値のない人間と決めつけることは出来ないのではないでしょうか。

たとえ人並みの稼ぎしかなくとも充足した日々を生き、自分の生きる目的を理解できている人はおりますし、そういった人が多く生活していた国が日本でした。

もちろん、表舞台で大きな影響力を持てば、それなりに資金を調達する力も増えてくるでしょう。しかし、それが出来ることが教育の目的なのでしょうか。

やはりそういった意味でも、教育の投資効果というには適当だとは言えません。

■ 本当の教育の投資効果とは?

では、教育における投資効果とはなんでしょうか。俗にいう「生きる力」というものですが、私はそれを以下の様に考えます。

自分が何をしたいのかを見つけ、そして何を成すべきなのかを見つける事。

これは、まず自分が寝食を忘れ没頭できる様なものを見つけることを重要視しています。そして、それはなにも学校教育の教科でもなければ、今ある職業の事でもありません。

全く新しい分野の事であり、それは一見何の役に立つかわからない事でもいいのです。もちろん今それが既にあるものであってもかまいませんが、その時に気を付けてほしい事は、自分のやりたい事が抽象的すぎておぼろげなまま、既存の分野や職業に果てはめてしまう事です。

例えば「料理が好きだからシェフに成ろう!」と思ったとします。しかし、料理の何が好きなのか、料理を通して新しい味や料理を発見することなのか、それとも空腹で困っている人のお腹を満たしたいということなのか、そういった分析や自分の人生の棚卸しが無いままに安易に既存「あるもの」に飛びついてしまうと、結果的に現実と理想の乖離によって納得した人生を歩めない事にもつながってしまいます。

もしかすると、料理が好きな理由は、下ごしらえから調理に至るまでのプロセスに魅力を感じていてるのかもしれません。

そうすると、本当はこうしたプロセスを作り上げるプログラマーなどの方が熱中できるという事だってありえるのです。

つまり、何がしたいかという事は本当に自分の根っこに向き合わなくては見つけられないものであり、それにはトライ&エラーを繰り返しながら見つけていく作業が必要になって来るでしょう。

そして、それを見つけた後に、今度は何を成すべきなのかについても考えなくてはいけません。

何故かといいますと、何をしたいかだけでは、自分の内省的要因を見つけたことにしかならないからです。

私達が人間として生きていくためには、絶対に他者との関係性を0にすることは出来ません。そのため、少なからず他者との関係性を意識して活動をすることが要求されます。

その時に自分の内省的要因のみでは、自己満足の範囲でしかなく、人が健全に生きていくためには他者への承認も少なからず必要であるからです。

これは私たちが言語を通してしか世界や事象を理解が出来ない事から、言語が常に他人を意識したものであるために起こるものです。

そして、少なからずの他者への依存がある以上、自分がしたい事がこの世界にとってなぜ必要なのかという事まで、考えなくてはいけないのです。

であれば、教育を投資として考えた時の効果は、「人間が何をして生きていくかを発見し、それが世界においてなぜ必要なのか理解する力を養う」といえるのではないかと考えており、私はそれを「志」という言葉に置き換えて理解しております。

つまり、教育の目的は「志」を見つけることにあり、その教育の効果は「志」をどれだけ育めるのかという事になるのではないでしょうか。

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