江戸時代の教育こそ、世界最高水準の総合教育だった。

こんにちは、コタローです。

日本の江戸時代では約260年もの間、太平の世が築かれていました。

この頃、西洋を中心とした諸外国においては、戦争や内乱に躍起になっておりました。そんな中日本では、独自に文化を発展させながら、教育活動が活発に行われていたとされます。

例えば庶民のこども達においては、寺子屋という学問所がありました。ここでは主に「読み書き」や「そろばん」といった実際に働く中で必要とされるであろう実務スキルを中心に、生きていく上必要とされる礼儀作法や立振舞、道徳教育までもが実施されておりました。

さらには、現在の学校教育の様な、画一的な教育ではなく、子供の特性を活かすような方法やアドバイスなどが行われていたといわれており、それによって自分はどのような生き方や道を進めばよいかが自然と理解出来たといわれております。

■ 「実利的」にも「観念的」にも教育の根本を網羅していた江戸の教育

また、一人一人の人間に対し個別最適化を行いながら、社会に必要な能力を養うことが可能な総合学習機関が、幕末には全国で約15,000以上も存在したといわれておりますから驚きです。

ちなみに15,000という数は今でいえば国・公・私立の中学校・高校を合計した数字になります。

さらに当時の日本の人口は約3,000万人という事もありますから、それらを省みれば、如何に当時の日本人一人一人が教育に対して意識が高く、力を入れていたかが分かるのではないでしょうか。

こういった事もあり、日本人の識字率は江戸時代より世界最高水準でした。さらに実践的な計算処理も出来るため優れた実務能力を養うことが出来た教育といえるでしょう。

特に算術に関しては、遊びの中でも用いられるようになり、次第に問題をクイズ形式で出し合うなどして発展を繰り返し日本独自の進化を遂げた「和算」が生み出されます。

こういった意味で現在の学校教育の様に、いつ使う知識なのかも知れず、何の役に立つかもわからず、それを学ぶ意味すらも理解できない教育とは雲泥の差です。ちなみに、私はこれが嫌で学生時代勉強が手につきませんでした。

もちろん、全てが実務的であればよいというプラグマティズム的な考えが良いというわけではありません。

その次元とは別に、ゼロベースで思惟を巡らせ、物事の本質を考える「哲学」の様な学問もまた必要ですし、文化伝統を学ぶ和歌や俳句なども心の豊かさを持つうえで重要です。

そして、戦後のGHQによる徹底的な日本の破壊工作の中で、今は廃れてしまいましたが、国民として生きる上での指針であり、もしくは真っ当な人間として生きる上での指針を示している「修身」や「列伝」といったものも必要だと考えます。

この様に、社会に出て役立つような教育はもとより、人間としての根幹を学ぶうえでも重要な役割を果たした教育が、江戸時代の我が日本ではあちこちで実践されたいたことを考えると、そのインテリジェンスというものを取り戻すことこそが、今の教育においては必要なのではないでしょうか。

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