成長だけが全てではない!今こそ日本的価値観を取り戻そう。

こんにちは。小太郎です。

あなたはこのような話を聞いたことがありませんか。

そして、このような歴史観を何となく持っていませんか。

「私達の社会は時間を経て歴史を重ねることにより、社会が成熟していく(良くなっていく)」

一見、当たり前のようなことに聞こえますが、こんな当たり前に聞こえるような話一つをとってみても、実はその根底には思想的な背景が含まれているのです。

今回は、そんな何となく抱いていた歴史観の裏に、一体どのような思想的背景があるのかを探っていきたいと思います。

■ 近代的・西洋的価値観と現実のズレ

例えば、上記のような考え方は人類の長い歴史から見ると、極々わずか300年前から出てきた話に過ぎません。

これは17世紀以降の「ルネサンス」や「科学革命」そして「近代哲学」の興隆によって、知識を蓄え理性を駆使することで、人間はより理想的に社会を歩んでいけるといった啓蒙主義的な考え方であり、それ以前の思想(いわゆる「封建的思想」)に反発をしている傾向があります。

こうした旧来の柵(しがらみ)から解き放たれることで、人間の精神はより進歩していくという考え方を「進歩主義」といいます。そしてその考え方の影響が、ダーウィンの進化論やマルクスの労働者による人間開放(革命)といった形で波及していくようになります。

しかし、こうした環境などの制限に縛られず、「理性」と「知識」によって「自由な意志」として行動することが理想的であるという進歩主義的な考え方は、現実とは乖離していると言わざるを得ないと思います。

何故かといいますと、やはり私達が生活する中で、当然その生活基盤(地域)における「文化」や「伝統」といった特色がありますし、もっとミクロ的に見れば「家柄」や「血縁」といった特徴もあります。また逆に、マクロ的に見れば「言語」や「歴史」といった国家としての違いも有るわけで、そうなると、果たして本当に生まれ育った環境から完全に分離された一つの個の精神(意思)などというものは存在し得ないのではないかと思うからです。

仮に西洋的な神(God)のような精神を持った人間がいたとして、従来の「価値観」や「伝統」の全てに依存しないような理性的かつ合理的判断が下せたとしても、社会を構成する多くの人がそんな境地にまで至るわけがないのですから、こうした考え方は現実的には社会の実態に即していないといえるのではないでしょうか。

■ 改めて見直す「日本的価値観」

そもそも、古来より人間社会というものは時間の経過によって成熟する(良くなる)どころか、かえって悪くなるといわれていました。

例えばキリスト教においては、世の中が不安定になるとその世界を救済すべく神が介入してくるという「終末論」がありますし、仏教においても、釈迦の入滅から時が経過すれば政情が乱れるとされる「末法思想」などがあるわけです。

ですから「時が経過すれば人間個人の精神は進歩し、社会が成熟する」という事が人類の普遍的な思想ではないということが分かると思いますし、近代以前において、それはむしろ標準とされていた考えでした。そのため、時の経過により階段式に精神が向上し、社会が成熟していくというよりも、良くなったり悪くなったりを繰り返すといった方が適切かもしれません。つまり、円を描く様に回りまわるといった感じです。

そして、時間と共にあまりに社会が腐敗してしまうのを防ぐために「宗教」が誕生したと考えてみると、その役割が明確に見えてくるでしょう。

このように、私達が当たり前に思っているような考え方ですら、日頃から意識を変えておかないと、知らないうちに偏った思想が標準となってしまう危険性があります。

だからこそ、情報をどのように取捨選択するかを司る人間の「意識(マインド)」というものは非常に重要な役割を担うものであり、そういった点について一歩足を止め、今一度見つめ直すことが必要になってきているのではないでしょうか。

特に、近代以降の「合理性」や「効率性」ばかりを追う経済的な価値観としての市場主義という考え方が、なまじ生活の豊かさを向上することに貢献したため、そういった価値観のみが真理であるという誤解を生じさせてしまうことに繋がったといえるのではないでしょうか。

現代でも、こういった西洋の近代的価値観こそが正しいという風潮は様々な分野で蔓延しがちですが、その仕組みの中だけでは、社会の「安寧した秩序」も、個人の「精神的安定」も得られないといったことに気づき、この違和感を感じ取り始めている方も多いように見受けられるのです。

そういった意味でも、文化基盤の異なる場所で構築された「輸入思想」に固執するのではなく、もっと土着に根付いている「思想」を学ぶ方が重要なのではないかと思うわけです。

そういった意味でも、私達はこの日本で生まれ育ってきているわけですから、日本精神・文化・宗教・芸術などを学ぶことに意義があるのではないでしょうか。

少なくともこういった日本独自の「価値観」を大切にしていくことが、世界において日本人としての自覚を持ち、ひいては世界と対峙するための思想的基盤となりうると私は考えます。

ちなみに戦前の日本では、こういった事を理解していたため、教育においてもふんだんに自国の価値観やその素晴らしさを取り入れていたことが散見されます。

今こそ、この教育の場でも西洋的価値観への偏重から脱却し、もう一度日本的価値観に根ざした「思想」や「哲学」を見直し、取り戻していく時期が来ているでしょう。

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